ふじの井の
お話

( 01 )
創業は慶応3年の幕末
ふじの井は不二の井戸

新潟と村上を結ぶ国道113号線の中ほど。
怒涛の日本海と美しい赤松林に囲まれた景勝の地・藤塚浜にふじの井酒造があります。
ふじの井酒造の創業は慶応3年(1867年)のまさに幕末。江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を表明したその年です。藤塚浜が酒造りと商売に恵まれた環境にあることから、初代蔵元・政太郎が酒造営業を始めました。
藤塚浜は朝日・飯豊連峰の伏流水が豊富で、その水は100有余年をかけてたどり着くといわれています。かつては北海道へ向かう北前船がそれを目当てに立ち寄っていたそう。そして藤塚浜には、古くから伝わる神秘の井戸がありました。
汲めども尽きせぬこの井戸は、人呼んで「不二の井戸」。そこから汲まれる水は発酵に不向きな軟水ですが、醸せば醗酵旺盛にしてうまい酒を生むことから「ふたつとない水の井戸」の意味を込められ、「不二の井戸」と呼ばれていたのです。
政太郎はこの井戸水を使って酒造りを行い、ふじの井酒造を開業。社名の由来はこの「不二の井戸」にあります。

( 02 )
大火の中で焼け残った
不屈の一号蔵

明治19年(1886年)9月のこと。藤塚浜で大火があり、ふじの井酒造も火事に遭いました。一夜にして500余世帯の集落が焼失するほどの大火。それにもかかわらず、ふじの井酒造の一号蔵だけが焼け残り、村を驚かせたといいます。
政太郎は火から酒蔵を守るために扉を閉め、扉の隙間に味噌を塗り込み一号蔵を守り通したそう。今でも一号蔵の壁や梁には、当時の猛火を想わせる焦げ跡が刻み込まれています。
一号蔵は江戸末期に建築された伝統的な土蔵造り。火災だけでなく地震にも強さを発揮し、新潟地震では二号蔵や三号蔵が被害を受けたにもかかわらず、一号蔵だけはびくともしませんでした。
一号蔵の壁は厚さ50センチほど。手斧づくりの土壁で、朝夕入る山風と海風の冷気が調湿します。酒造蔵としては最高の蔵といえるでしょう。今でも一号蔵では先人をしのび、冬には手造りで大吟醸を仕込みます。

( 03 )
オール新潟で造る
この先も愛されるおいしさ

ふじの井酒造の酒。それは、地の水、地の米、地の技を使った「オール新潟」。地元の素材を使って、地元の蔵人が酒を造り、地元で愛される。これが地酒というもの。
口当たりは滑らか。口に含むとわずかに甘味を感じられる、まろやかさが特長です。
創業から、ただ酒を醸して160年ほど。ふじの井酒造の酒造りはまだ続きます。2024年には、30年以上蔵人として務めた杜氏が8代目の蔵元になりました。
先代の杜氏たちや蔵人の想いを大切に守りながら、ここ藤塚浜で。地の水、地の米、地の技をいかした、未来へと続く酒を醸していきます。
ふじの井の
お酒
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ふじの井 大吟醸
酒造好適米を40%まで磨き、長期低温発酵させたふじの井酒造の最高峰。優雅な香りと気品ある味わいが魅力です。
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ふじの井
コクとうま味が特長の辛口清酒。キレのある飲み飽きしないおいしさで料理にも合い、晩酌などにおすすめです。
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紫雲の光
新発田市紫雲寺産の蔵人栽培米を使った厳寒仕込み。長期低温発酵させた贅沢な造りで、まろみのある味わいです。
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さえずりの里
夜明けの鳥のさえずりを聞かせて醸す一本。口当たりはまろやかで、ほんのりうま味を感じられる、繊細なおいしさです。
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ふじの井 純
まろみを帯びたなめらかな舌触りがたまらない純米吟醸。口の中にふくよかな味わいがふんわりと広がります。
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ふじの井 本醸造 辛口 原酒
蔵人が丹精こめて造り上げた本醸造。原酒のため口当たりは力強く、濃厚かつキレのある飲み口が好評です。
会社案内
(蔵元挨拶)
伝統の中に革新を。日本酒を通じて、
藤塚浜・紫雲寺・新発田の魅力を世界へ。
酒造業界においてふじの井酒造が築いてきた160年という歴史は、誇れるものではありません。ただし、先代の杜氏たちや蔵人が守り抜き、進化させ続けてきた味だけは、誰にも負けない“ふじの井”の誇りであり、私の誇りでもあります。
私が目指すのは一つだけ。それは、初代蔵元・政太郎がここで醸したふじの井のお酒を、地元の皆様や世界の皆様に、飲んでいただけるようにすること。伝統に甘えることなく、伝統を軽んじることなく、次の世代にも飲んでいただけるお酒を目指し、これまで以上に酒造りに努めてまいります。皆様の笑顔のそばに、ふじの井のお酒がありますように。
― 8代目蔵元 小池 悟
受賞歴
( 平成7年以降)
関東信越国税局酒類鑑評会 優秀賞受賞21回 最優秀賞受賞1回
※最優秀賞受賞の酒は「献上酒」として皇室に献上
全国新酒鑑評会 入賞6回 金賞受賞5回